プロフィール




盛岡コメット混声合唱団は1958年7月に始まり、50年以上の歴史を持つ合唱団です。
1962年、常任指揮者に松田晃を迎えて以来、現在まで52回の定期演奏会を重ねておりますが、
全日本合唱コンクールの参加のほか、日本各地で行われている演奏会にも参加しております。
演奏会はサマーコンサートなどもあわせると通算85回になりました。
現在団員約25名。在団経験者900名を越えています。





50年の歩み〜継続へのエネルギー



    

盛岡コメット混声合唱団元会長  石 川 桂 司

 盛岡コメット混声合唱団発足当時、日本合唱界にはトップに君臨する数多くの先輩合唱団が活動していた。 しかし、その多くが活動を停止し、姿を消していった。その中で、盛岡コメットがどうして半世紀におよぶ歴史を 刻むことができたのか。その理由は、常に「合唱芸術の高みをめざして」という姿勢にあったように思えてならな い。 盛岡コメット混声合唱団が発足した昭和33(1958)年は、高度経済成長の始まる頃で、今日のように衣食住に満ち足 りた生活とは程遠い時代であった。20代半ばの若者たち20人が、上田小学校の音楽室に集まり、亀田芳夫氏(故人) の指揮のもとに、ささやかに混声合唱のハーモニーを楽しんでいた。水曜日の夜に集まることから、彗星に因んで 「コメット」と名付けた。経済的にも精神的にも戦後の貧しさの残っていた時代、会費は月200円ではなかったか と思う。楽譜や団員へのプリントも、廃棄する書類の裏紙を持ち寄って印刷した時代でもあった。戦前に比べて、 最も飛躍的に進歩したと言われる音楽教育を受けた今日の若者たちと違って、練習の成果は思うように上がらず、 その歩みは遅々たるものであった。やがて集まりが悪くなり、ソプラノが一人もいない練習日も続き、団解散の 危機が訪れる。解散総会の席で、女声の継続を望む強い要望があって、団長主導の「団長ファッショ」体制でいこうという合唱団に生まれ変わる。「定期的に発表会を」ということになり、昭和37(1962)年6月、横山功氏(当時上田中勤務)を指揮者に迎えて、第一回定期演奏会をもつ。 しかし演奏会直後、指揮者が仙台に転勤。次期指揮者に、松田晃氏(当時紫波高校勤務)を迎える。当時団長をしていた私と高校・大学の同期生であったことから、ことある毎にコメットのこれからを様々語り合った。「必ず定期演奏会をもつ」「毎年合唱コンクールに参加する」ことが最低の条件。そして、合唱を楽しみハーモニーを楽しむだけの合唱団ではなく、プロのレコード会社から録音の依頼が受けられるような合唱団をめざそうとした。そのためには、常にトップレベルの客演指揮者を呼べる合唱団をめざし、厳しい練習に耐えることのできる合唱団をつくろうということになった。指揮者は日曜日毎に上京し、田三郎先生に指揮法の指導を受けてその力量を高めた。団員はその熱意と厳しい指導に応えるべく、水・金2回の練習と毎月1回の特別練習に通い続けた。その成果は、全国コンクールで上位入賞という形で実を結ぶことになる。 これらは、すべて「合唱芸術の高みをめざして」という指揮者や団員の胸に秘めた強い意志であり覚悟によるものと、歴史を振り返って実感している。そしてこのことが、 「50年継続へのエネルギー」になったという思いを、今あらためて思い起こしている。


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